7月日記2017

今日も今日とて好きなひとに会いに行く。好きなひとには自分から会いに行く。わたしはやっぱり、追いかけるほうが性に合っていて。


専門のときのルームメイトだった彼女はきっとツインソウルで、言葉がなくても解り合えている気がする。
誕生日が一緒で、わたしと彼女がまだ出会う前 だけれど同じ時期に同じ作品に触れていて、沢山の素敵を共有している。表現方法は真逆だけれど、性格が一緒。

彼女の素敵な恋愛、わたしにとっては夢みたいな恋愛、素敵な彼氏との思い出と一緒にわたしとの思い出も仕舞ってあって、常に持ち歩いてくれていた。
離れたって、彼女の生活のなかにわたしがいる。知らなかった。一生片想いだと思ってたから、死ぬほど嬉しい。

彼女の首には彼からプレゼントされたネックレス、彼女の指には彼とのペアリング、そして彼女の腕にはわたしとお揃いのブレスレット。
経年劣化を恐れすぎるわたしは身に着けるのを辞めてしまったのに、彼女は今でも毎日身に着けてくれていて。それが死ぬほど嬉しい。

お互いに開けあって増やしあったボディピアス、お揃いのピアスとブレスレット、わたしは身に着けることを辞めてしまったから、もしかしたら寂しく思っているのかな。
身に着けていなくても全部たからものなんだよ、きっとわかってくれるよね。


お互いの恋愛を報告しあう関係じゃなかった。わたしは恋に恋するだけの相手が見えない乙女だったし、彼女は来るもを拒まないけれど恋愛を面倒くさがっていたのに。
彼とお付き合いしたことで彼女は変わったんだな〜って思う。最初はそれが寂しかったけど、でもやっぱりわたしは彼女のことも彼女の彼のことも大好き!
彼女を大切にして、彼女をお姫さまにしてくれる彼が大好き。彼女の大切なひと、大切なものは何だって大切で大好き。しあわせな2人の近況を聞けて本当に嬉しい。彼女はその彼と同じくらい、わたしのことも大切に思ってくれているのが死ぬほど嬉しい。


ずっとずっと片想いだと思ってた。わたしは本当に彼女のことが大切で、かといってベタベタしないサラッとした関係。でも心底信頼はし合っていたと思う。

学生最後の1年はやけに彼女を遠くに感じて。ルームシェアをやめてお互い一人暮らしを始めたのもあると思うし、彼と彼女が付き合い始めたのもあると思うし、お互い研究室に籠もりがちだったし、わたしの交友範囲も広がったし。
でも彼女のいちばんがわたしじゃなくなったのが悲しかったし、やっぱりひとりは寂しかった。かと言って寂しさを紛らわせる恋人も作らなかったし、研究が恋人だった。


土曜のお昼、卒業式ぶりに彼女と出会った瞬間、わたしたちは17歳に戻って。中身のない会話をして、変な料理を食べて、はじめて2人で世界一好きなひとのライブを見に行って、成り行きで彼女の家に泊まって、一晩語り尽くして。朝まで彼女と一緒にいたのに、現実なのに夢みたいにしあわせ。

彼女と暮らした3年間、共有できる限りのものを沢山沢山共有して。お互いをお互いの大好きで埋め尽くしたしあわせな日々、夢みたいな生活。
わたしたちは変わっていくけれど、死ぬまで一生しあわせな日々の延長線上を生きていける。


しあわせすぎて駄目になってしまいそうなんだよ、彼女の部屋に泊まっただけなのに。彼女と生活することが当たり前だった日々を取り戻した。それだけでこんなにも満たされる。
わたしたちは変わってしまったけれど、何にも変わっていなかったね。わたしたちはいつだって17歳に戻れる。


それでも、わたしはちゃんと現実に帰ってきたよ。ここはもう、わたしの町だから。
友だちも知り合いも気軽に頼れるひとも全てを曝け出して語り合える相手もいないけれど、ここにはわたしの生活がある。
しーんとしたアパート、最寄の駅、行きつけのスーパー、そして職場。わたしはこの町で生きている。


彼女の住む街を知れてよかった。彼女が住んでいるってだけでもう 素敵な街だったし、彼女の住む社宅は侘び寂びのあるお城だった。
たとえばこれからどんなに離れたって、北海道だって九州だって海外だって火星だって土星だって会いに行く。


彼女の生活が、いつも素敵なものでありますように!彼女がいつもしあわせで満たされますように!

ときどき、わたしのことも思い出してね。
そして、また17歳に戻ろうね。

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4月日記2017

久しぶりにアパートに帰ってきました。

 

今月はずーっとホテル生活をしていて。食べものもコミュニケーションもオレンジ色の蛍光灯も、浴びすぎた。与えられ過ぎた。とっくに飽和して、疲労しきっていました。

 

 

越してきたときは嫌いだったこの町に、久しぶりに帰ってきて。帰る家があるだけなのにもう わたしの町、落ち着く町で。

この町はなーんにも無いのに、不便なのに、ゆったりしていて優しくて。電車を降りて懐かしく思ったりしちゃって。

 

車が無ければ生活するには不便だけれど、なんとなくこの町はよそ者のわたしを受け入れてくれるような気がします。生まれ育った町にも似ているような気がして、よそ者のわたしだけれど この町をすぐに好きになってしまいそう。ここでなら生きていかれそう。生活していかれそう。

 

 

都会はさまざまなものが溢れていて 空想の余地がなくて、紛れるにはもってこいだけれどちゃんと生活を送る自信がないなぁとつくづく思わされます。

あんなにも他人との距離が近いなんて、あんなにも部屋が狭いなんて。都会は合理的な形をしています。わかりやすくて、デッドスペースを殺してとにかく詰め込んで。無駄なものは排他されてしまう気がして、ゆっくりしてたら追い出されそうで、いつだって落ち着かないんです。

 

わたしは江國香織さんの小説の女の子に憧れているので、ほんとうは東京で、もっと言えば小田急線沿いのアパートで猫のフキと暮らしたい。でも、無理だと思う。実現するのは容易いけれど、きっとすぐ会社を辞めてしまうと思うし、毎日鬱々と、泣きながら暮らしてしまいそう。なんとなく、生活が立ち行かなくなる気がするんです。

 

 

いま住んでいるこの町はド田舎で、でも、海も山も川もある。景観は生まれ育った町よりも田舎ですが、交通機関がソコソコ発達しているのでソコソコ便利。

なにより、住んでいるアパートが最高。ひとりで住むには広過ぎて、部屋数も充実しすぎていて、持て余していて、「お城」って呼んでる。セキュリティばっちりなのに、家賃がめちゃくちゃ安い。

 

こんなに恵まれているのはおかしい。あまりにも出来すぎていて…。会社側が様々なテストや診断の結果をふまえて、わたしが都会では生活が立ち行かなくなることを予想して、ド田舎に配属してくれたような気さえするんです。

だってわたし、研修期間中に電車の遅延で会社に遅刻しそうになって不安障害爆発させてオロオロめそめそしていたんです。遅延するたびにこんなんじゃ通勤もままならない。ただでさえ通勤電車は他人との距離が近すぎてすっかり疲労してしまって…こんなわたしが都会で生きていかれるわけがありませんね。

 

 

田舎自慢をすると、わたしの生まれ育った山形は まず、水が美味しい。お米も美味しいし、野菜も肉も魚も美味しい。美味しいし、新鮮なものが安く手に入る。ずいぶんと豊かな食生活をしていました。

 

今月暮らしていたホテルは、自分のお金では泊まろうと思わないくらいの高級ホテルで。ベッドはふかふか、広くて大きいベッドに、広くて清潔なお風呂。広くて持て余しがちなお部屋に、豪華な夜景!

でも、食べものはぜーんぶ美味しくないんです。味付けはしょっぱいし、米はまずいし、魚も肉も良くなくて。

 

このホテルがある街で、あるいは都会で、わたしが山形で普段食べていた程度の食事をするには、どのくらいお金を積めばいいんだろう。

 

食べることは生きることで、豊かで健康な食生活がなければ生活していかれないと考えています。その点で、アパートのあるこの町は豊かな食生活を送れる気がしていて。なにより、港町っていうのがいいよね。わたしは港町で産まれ、港町で育ち、これからも港町で生きていきます。

 

 

山形県は名前のとおり(なのかは知りませんが)、360°山々に囲まれています。見渡す限り山、山脈、山、山脈。そして、わたしは海に面した町に暮らしていたので、ギュッとすると『おいでよ どうぶつの森』の村の景観になるようなイメージです。

 

日本海側の空は低く、夏であれ冬であれ鬱屈としています。日本海も青が濃くて、濃すぎて暗くて、波風で荒れていて。そして、山。山。山。山。山。

幼い頃のわたしは本気で「一生ここから出ていかれない」と思っていました。おいでよ どうぶつの森 のように、誰も来てくれない、どこへも行かれない。暗くて狭い町に閉じ込められっぱなしで、ゲームの中でさえ思い通りにならないし…。この町の大人たちのように、退屈に歳をとって退屈な大人として生きるのかな?と落ち込んでいました。(幼い頃のわたしには、身の回りの大人が退屈そうに見えて。人生に何の楽しみもないように見えて。仕方がありませんでした。)

 

初めて横浜に行ったとき、空の青さと空の高さ、海の広さと海の青さ 鮮やかさに驚かされました。それ以来、太平洋の虜で。

東京の空は狭いって言ったのは誰?浮間なんて豊かで長閑じゃん…などと思いながら、生活感の溢れる地区を散歩するのが好きです。赤羽とか板橋とか、浅草。住みたいとは思わないのだけれど…

 

 

お城のあるこの町は、太平洋側の町。雪も降らないし、交通アクセスが(いままで暮らしていた地区より)すばらしすぎるし、山形と比べると生活しやすいとくべつな田舎って感じ。

 

 

あーあ。わたしは江國香織さんの小説の女の子にはなれないなあ。

でも、もうなれなくてもいいかな。

小旅行のあとに、アパートのあるあの町へ帰った時の安心感。自分のベッドで寝るのが楽しみで。

 

新幹線の中では行きも帰りも はやくあの町に帰りたいなあ、なんて考えちゃう。しばらく、これ以上の幸福を見つけられそうにないんです。

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髪の毛から他人の匂い

彼の優しさにズブズブに甘えて、めろめろに甘やかされて、いままでひとりで立っていられたのが嘘みたい。
これからはまたひとりだ。もとに戻るだけなのに、どうしよう。新しい土地でひとりでなんて生きていけないよ〜自信がないよ〜ひとりにしないで.........

きっとわたしはずっと欲しかったものを手に入れて、よっぽど精神的に安定できたと思います。他人の影響力ってすごくて、かなり彼に救われている。彼の存在はおくすりよりもお酒よりもわたしを救ってくれます。


彼が身に着けている金属の冷たさを感じたとき現実を思い出して。だからこそ、わたしは安心して彼に身を預けられます。ちいさな金属は熱伝導性が良すぎてすぐに体温に馴染んでしまうけれど。何も背負わずに甘いところだけほしいだなんて、本当に卑怯で最低ですね。

最初は遊びでいいやと思っていたけれど、どんどん本気になっていった なんて言葉の全てを信じるわけじゃあないけれど、全部が嘘だとも思わないような...なんて甘いことばっかり考えていたい。嘘を追求したらキリのない関係だから、明るくて甘くて楽しい女の子で居続けたい。きっと彼はわたしにそういう軽さを求めているから。
わたしたちはお互いに責任がないので嫌なところは見なくて済みますね。だから甘い言葉だって沢山吐けるし、ずっと笑顔でいれる。


ひとりで居るときに ふと彼のコロンの香りを思い出したり、デートのあとに髪の毛についた彼の煙草の香りを感じてしまった途端に駄目になる。
でも、もうお風呂に入ったし、お洋服も着替えて洗濯するから染み付いた煙草の香りもコロンの香りも全部消えると思う。さよなら。

わたしが新しい生活を始めてもこのままの関係を続けていきたいね だなんて、わたしたちは一生しあわせになれないじゃん〜。わたしが断れないことを知っていて提案する彼は、本当にずるくて卑怯です。


新しい街へ移る前日、彼と最後のデートをしました。とっておきの車で迎えにきてくれて、海までドライブ。ちょっとした恋人気分を味わったら、移動してカフェで遅めのランチ。夜はわたしが大好きな海鮮を食べたあと手を繋いで歩いて、夜景の見えるバーでお酒を飲みました。
絶対に泣くもんか と思っていたのですが、別れたあとホテルの部屋に戻ったら彼から着信があって。「車に戻ったら寒い寒い」って言ってすぐに切れたのですが、そのあとに大泣き。彼も寂しいのかもしれない、と初めて実感しました。


翌朝は予定通り寝坊して、時間に追われつつ電車に飛び乗りました。見送りには来ないで欲しいと釘を刺しておいたし、彼は 昼まで起きない!と宣言していたので安心して旅立てました。
そこまでは何ひとつ寂しくなかったのに、海がみえてからはひたすら泣いていました。声を出さないように、伸ばした前髪で顔を隠しつつ。
大泣きして、泣き疲れたあとに新幹線でスジャータのバニラアイスを食べました。移動をするだけの死んだ休日、ひとりぼっちの車内で疲れ切ったわたしにアイスクリームの甘さと冷たさが優しくて、優しすぎて。なんだかまた泣いてしまいそうになったりして.........


新居に移ってからはとんでもない欝状態。お酒かおくすりを飲んで、泣くか寝るかしかできませんでした。
心配と迷惑をかけちゃうから自分からは連絡しないって決めていたのに、さっそく電話をかけちゃって。泣いていることがバレないようにって思ったらぜんぜん話せないし、言葉は出てこないしでさらに迷惑かけちゃった。でも優しかった。
わたしが居なくても彼の日常はいままで通り進んでいることに安心しました。わたしが居ても、居なくてもいい。わたしが心配しないように、そう振る舞ってくれている面もあるだろうけれど。

明日の夜電話するから、それまでに市役所と警察署と銀行に行って、必要なこと全部片付けてばっちりだよって報告してねって言ってくれて。荷ほどきや手続きの一切をせずに泣いて暮らしているわたしが、最低限のことを出来るように。


彼とわたしとの関係は間違っているのに、どうしてこんなに幸せなんだろう。

彼は 自分がもっと若ければ... と口にするけれど、わたしはこの年齢差とこの関係がちょうどいいと思います。だからわたしは安心して彼に身を預けられます。

彼はわたしの未来に嫉妬しているようですが、わたしが嫉妬するとすれば彼の過去でしょう。
何人の女の子の犠牲のうえに彼の優しさや余裕があるのかを考えます。彼にとって最新の女の子であるわたしは、いちばんの贅沢をさせてもらってる。だから、いちばん最初の男性が彼でよかったのかはまだわかりません。
でも、今 しあわせだからいいや。


彼は現状のわたしの全てを受け入れてくれて、「これからどんな大人の女性になるか楽しみ」と言ってくれます。
次に会ったときには、もっと素敵な女性になっちゃうんだからね。それが今のわたしの生きる糧で、だから自傷癖も過食症も不安障害も醜形恐怖症も躁鬱も治したいんだよ〜

耳のかたちが嫌いで、自分が嫌いで、運命を変えたくて、依存的に開けまくった16個のピアスの全てを塞いで普通の素敵な女の子に戻ります。
代わりにちょっと背伸びした素敵なアクセサリィを買うんだよ。もちろん、セルジュの幸せの手錠。

素晴らしい時と幸せが私達を待っているでしょう

旅行日記2017

卒業旅行で友だちとディズニーランドに行ったよ〜!はじめての夢の国でした。雨降るしめちゃくちゃ寒かったです。でも、行ってよかった🐭
イッツアスモールワールドを見れなかったのでまた行きたいけれど、雨降りの寒いディズニーにはもう行きたくない〜!

夢の国は変な服を着ていいところだと思っているので、初日のランドではヤバいGジャンを着て、二日目のシーではBABYのジャンパースカートを着ました💞

ロリイタ服大好きなんだけど、似合わないなあ〜顔面のせい?体型のせい?心構えのせい?全部かな。
髪の毛は縦巻きツインテールにしたけれど風雨で巻きがとれちゃうし、お化粧ももっとお人形さんみたいになるようにガッツリ盛らなきゃお洋服に失礼だよね...。そして、痩せないと。
効率を重視してしまうふしがあるので、ロリイタ服似合わないのかもなあ〜精神が駄目なのかも。姫カットだったらもっと似合ったのかもしれないけれど、姫カット...うーん。

10年間続けていたぱっつん前髪と姫カットを昨年末に辞めたんだけれど、ぱっつんの頃の写真見ると違和感があって。こんな顔だっけ?みたいな・・・・・別人になった気分。
いっそガラッと髪型を変えてみようかなあ、垢抜けたくて。田舎の芋ガール辞めたい〜!自分、芋すぎて鏡を見るたびに驚愕するので。社会人デビューとかしちゃう?でも髪は染めたくないし〜とか。みんなどんな髪型してるの?どんなお化粧してるの?どんなお洋服着てるの?どうやったら垢抜けるのよ〜

カチューシャ着けてもファンキャップ被っても魔法はかからないし、わたしはわたしのまま、芋ガールのまま。変わりたいな〜素敵なレディになりたい。


大好きなジェットコースター、暗闇じゃあ何にも怖くなかった。落ちていくところが見えないからかな?
ディズニーってほんとに夢の国!って感じで、絶叫とかしないんだなぁって思った。生殺しにされている気分。どこかで絶叫マシン乗り回したいな〜
ひとつひとつのアトラクションの設定やストーリィがしっかりしているし、鉄骨見えないし、装飾も綺麗で。これが夢の国かぁ!って。敷地内に存在しているだけで楽しかった〜寒くなかったらもっと楽しかった!薄着で行った自分がわるいんだけどね、ここまで寒いとは思わなくて...


ピーターフライトとフィルハーマジックとハニーハントが大好きになった!

ピーターフライトに乗るまですっかり忘れていたけれど、わたしはピーターパンが大好きだったんだー。いつか迎えに来てくれるって信じてたから大人になりたくなくて、その気持ちを拗らせてしまった結果がいまのわたし...。ここは日本だからピーターが迎えに来てくれるわけないって早いうちに教えて欲しかったよ〜でも今だって大人になりたくない。とっくにウェンディの年齢は越しちゃったけれど、ぜんぜん、待ってます。ピーターパン!

ピーターフライトはまるで映画のなかに入ったみたいで、「あれだよウエンディ、右に光ってる星に向かってまっすぐ飛ぶんだ!」ってピーターの声が聞こえた瞬間に大号泣。ずっとこの景色を見たかったの〜(T_T)ってなって.........夢かとおもった。非常口の表示が見えなかったら、現実に戻ってこれなかったかも。


フィルハーマジックでは待機ロビーで「ローマの松」が流れていて嬉しかった〜!この曲も大好きだったの、忘れていたけれど。すごく大好きだったトランペット奏者の方を思い出して。わたしは途中で楽器を辞めちゃったから、裏切ってしまったことになるのかなあ?なんて思い出に浸ってしまった。
本編では、まずドナルドダックが人間語を話せないことに驚いた〜知らなかった。あとはやっぱりピーターパンが最高。ピーター(T_T)大好きだよ〜(T_T)
友だちにお願いして、どちらも2回ずつ乗った(?)よ〜フィルハーマジックは何回でも見たい。いつでも感動する。オペラとかミュージカルとか大好きなんだよね〜忘れてたけど。

ハニーハントはプーがとにかく可愛くて可愛くて。ファストパスが取れなくて2時間並んだんだけれど、並んだ時間以上の価値があった〜ラブ。


二日目のシーはお買い物がメイン!って感じだったし泥疲れしていたのでアトラクションはあんまり乗ってないです。

タワーオブテラーには2回乗った!
スタンバイでは3時間並んだの〜めちゃくちゃ寒かったし雨降るし疲れも溜まってたからしんどかったけれど、並んででも乗りたいなー!って思っちゃうね。仕方ない。

インディーではパリピなガールの団体と一緒に乗ったんだけれど、「愚か者!」って言われた後にパリピガールたちが『イエーーーーーイ!』って叫んでめちゃ笑った.........愚か者って言われた後にイエーイ!ってなる?ガールたちが本当に面白くて楽しくて、増し増しでアトラクション楽しめたと思う。一緒に乗れて良かった〜


友だちはディズニーランド大好きで何度か来園してるけれど、わたしも彼女もディズニーキャラクターに推しがいなくて。でもわたしははじめてのディズニーで浮かれていたので、どうしてもミニーのモコモコの帽子が欲しくなって買っちゃった。帰ったらミニーのおりぼんを外してクマ耳の帽子にリメイクしようかな?って考えてる。
シーではシェリーメイのぬいぐるみを買う予定だったんだけれど、ジェラトーニの可愛さにやられてしまってジェラトーニのぬいぐるみを買ったよ〜。ぬいぐるみとパペットとフェイスポーチを買った。パペットの縮尺がいちばん可愛くて〜!!!どこに飾ろう〜楽しみ!

モコモコのお洋服もぬいぐるみも大好きなんだけれど、自分が触ったのが原因で生地が劣化するのが嫌だから着れないし触れないし。効率ばっかり考えないで、もっと非効率的に寄り道たくさんすればいいのに〜わたし〜
ぬいぐるみ抱いて園内練り歩くのかわいいけれど、荷物多いとイライラしちゃうからわたしには出来ないなぁ。自分のことで精一杯.........


最終日は下北沢に行った〜東京来たら30分でもいいから下北沢に行くようにしてる。買う買わないは別にして、可愛いビンテージのお洋服を見てこころの栄養補給をしてる。
去年までは下北沢で大量に服を買ってたけれど、今年になってからはあんまり買わなくなって。やっぱり系統が変わってきてしまったなぁ〜って再実感しちゃった。ビンテージのシャツとダサいセーター、デニム、ヘアゴムを買ったよ〜

最後に東京駅でお土産を選んだよ〜。自分用には信玄餅と生八ツ橋を買った。友だちは自分用にちんすこう買ってたし。どこを旅行したんだ、わたしたちは。


友だちとは実家が同じ町内で、いわゆる幼なじみ。学校も部活もずーっと一緒だったけれど、卒業したらわたしは就職で彼女は進学。頻繁に会えない距離に住むことになるし、学歴の差で今後の生活にも差がうまれるのかな〜とか思っちゃう。ひがむ気持ちは無いのだけれど。
お互いを知り過ぎているから、これから彼女がわたしの知らない彼女になっていくのかなあ(逆も然り)と思うと変な感じ。


明日は卒業式。
なんか世界が終わるような気持ち〜大袈裟だけれど。いままで浸かっていたぬるま湯から追い出されちゃうんだ!あーあ。
きっと気持ちにも慣性が働いているからずーーーーーっとみんな一緒にここに居たいのにね。春からは散り散りだし、みんな変わっていくんだろうな。もちろんわたしも。変わっていくの怖いよねー!ずっとぬるま湯に居たいけど、惰性でぬるぬる生きたくないし。春からは大変かもしれないけれど、いままで以上に素晴らしい日々がくる気がする〜って言い聞かせてればそうなる気がするから、潜在意識に刷り込んでおこう。



旅行中に流行った言葉
めっかわ:めっちゃ可愛い
ごっさむ:極めて寒い

気になること:くらげは永久機関になりうるのか?

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Op. 9-2

あと1年このままの生活を続けていたら江國香織の小説の女の子になれるんじゃないかって思って泣いてる、けれどきっともっと歪むと思う。

意に反した行動をしてしまっていてよくわからないし、たとえば人に自分の靴を蹴飛ばしてぶつけて、ぶつけられた相手は「どこから飛んで来たんだろ?」なんておどけた口調で笑っていたけれどわたしは酷く傷ついてるし。もっとちゃんとお礼を伝えるべきだったのに、気持ちをちゃんと言葉にしていたかどうか記憶にないし。


アクセサリィが欲しくて、アクセサリィって幸せの象徴だと思うから。けれど身に着けるととても不自由ですね。幸せってそういうことなのかもしれない。誰かと寄り添うと安心するし、帰る場所があるのはとても幸せ。けれど、同時に不自由さが付き纏います。

セルジュ・トラヴァルの『幸せの手錠』という作品を見つけてしまって、泣いてしまいました。いまのわたしの気持ちにぴったりで、戒めになるでしょうか。きっと、買うと思う。


アクセサリィに憧れて、けれどその不自由さをひとつも受け入れられなくて。ネックレスも、ブレスレットも、指輪も買うだけ買ってそのまま。飾ることもなく、まとめて捨てることを繰り返しています。
プレゼントしてもらったアクセサリィは(あいにく女の子から貰ったものばかりだけれど、だから尚更)捨てられなくて、可愛げの無いジュエリーボックスに仕舞ってあります。見えなくても、こっそりとした愛しい不自由さがある。

アクセサリィへの憧れは消えなかったので、ピアスを沢山着けました。ピアスなら身体に馴染んで不自由さが無い。そのうち数えるのも辞めて、おかげで痛々しい耳になってしまいました。でも、ひとの記憶に残りやすくなったと思います。便利なので、そのままにしてあります。


傷付ける前に傷付く前に全てをなかったことにするほうが美しいし、わたしが受けるダメージもないと思って。アクセサリィと同様に付き纏う不自由さを受け入れられなくて、恋愛感情を受け入れられない。めんどくさがりなんです。そして、なにより傷付きたくない。学生同士の恋愛なんてたかが知れていますよね、随分と冷めた学生生活を過ごしました。けれど不満とか何ひとつ無い、身軽で楽しいです。

わたしは自分の足でしっかりと立っていられるような、強くて健やかな女の子になりたかった。たとえば誰か他人や、薬や、様々なものに依存して頼らないと立っていられないような女の子になんてなりたくない。人前でなんて泣きたくない。生まれ育った環境にも同情されたくない。
でも、自分の抱えている大きな大きな空虚さに戸惑っています。なにで埋まるんだ、どうしたら埋まるんだ、胃を満たせば埋まるのでしょうか?


ザ・コレクターズのライブでラブソングを聴くと、素敵な恋をしよう!と思わされます。どうしてあんなにもキラキラ、キラキラと素敵なふうに思わされてしまうのでしょう。
ほとんど唯一の救いです。


わたしはお互いに傷付かない関係に安心しきって身を預けることが出来るし、わたしがいくらきつい言葉を浴びせたって、不機嫌そうにしたって、わがままで振り回したって、相手がなんともないどころか わたしの一挙一動喜怒哀楽を楽しんでいることを知っています。相手は何枚も何枚も上手(うわて)なのです。相手がわたしを極力傷付けないように配慮してくれているのも知っていて、都合の悪いことは気付かないふりをする自分自身にも気付いている。後腐れがないように、酷く慎重に。
いつまでここに甘えるのかな、来年も再来年も続くのかな、わたしが相手に飽きられるまで。何も背負わずに甘いところだけ欲しいだなんて、ほんとうに卑怯で最低ですね。だから、そのぶんわたしはきちんと傷付いているつもりです。相手が傷付かないぶんも全部。


煙草の煙にも慣れました。けれどやっぱり(半分わざとだけれど)過剰に嫌がるわたしのために携帯しているガム、安っぽい歯ブラシと不味過ぎる歯磨き粉、砂糖もクリームも沢山入れた最低最悪な不味い珈琲。食事のマナーのなっていない、食べ方の汚いおとな。わたしの精神快調と不調の原因。ほんとは毎日声を聞きたい なんて言えないし(実際に毎日だと負担が大きすぎて疲れて嫌になっちゃいます)。コロンの香りを思い出して嫌になったら お酒を一気に飲んで具合悪くなって無理矢理寝ちゃういつものコースでいいや。数年前にした自傷行為の傷跡に「大変だったんだね」なんて言われたくなかった。今だって身を削って生きてる。


喫茶店に連れて行ってもらったとき、素直にソーダフロートやレモネードを頼めばよかったんだ。どうして相手に合わせて食べたくもないどうでもいいケーキと珈琲(珈琲は美味しかった)を頼んでしまったんだろう。背伸びなんて、しなければよかった。

いいよね、あなたは って言って過去の女性の分も合わせてめちゃくちゃに傷付けてやりたいけど、たぶん、一生無理だと思う。そこまで好きじゃない、お互いに。楽ちんで便利な関係、わかりやすくていいよね。知り合ってからは極力携帯のマナーモードを解除している自分が馬鹿馬鹿しくて嫌になる。一緒に過ごす時間はとても楽しくてロマンティックだもんね。認めます。

でもね、わたしじゃなくてもいいことくらい充分に承知しています。この関係に将来性が無いことも知っています。電話を掛けたくなる瞬間が増えてきて怖い。人の腕のなかで泣く心地よさと安心感を知ってしまったから怖い。でもね、わたしもね、別にあなたじゃなくたっていいんですよ。だってこれは恋愛じゃない。
都合よく変えられていくのが怖いんです。だから、わたしがこれ以上傷つく前に捨ててください。

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赤と劣等感

赤は言い訳の出来ない色だ、と思います。中途半端なあまちゃんで、まだまだ子供のままでいたいわたしには縁のない色。言い訳ばかりでふにゃふにゃ笑って誤魔化そうとしているうちは似合えない。色の持つパワーに負けてしまって、きっとみすぼらしく見えるでしょう。

赤ってだけで尊くて。いちばん身近な赤はわたしたちの血、肉、内臓でしょうか。普段は隠しているけれど。生きている、エネルギーの色なのかな?情熱、愛情、怒りや嫉妬なんかも連想されます。うちに秘めたものほど熱く、赤いイメージがあります。


映画 オペラ座の怪人、 "Masquerade" でファントムは赤いお洋服を着ていました。クリスティーヌへの熱い想いや悲しみ、揺るがない愛情。そしてラウルへの怒りや嫉妬。いつもの黒いマントを脱ぎ捨て、隠すことのできない自分の想いをぶつけるには赤でなければいけなかった。血管の浮き上がった白いマスクを着けて、形振り構っていられない、余裕がなく感情のままに行動した彼は、もう、黒い服を着て隠れる必要がなかったのかもしれません。
 "The Point of No Return" では舞台が真っ赤でした。ここまで来たら戻れない、覚悟を決めなければならない。クリスティーヌは決断をしなければいけなかった。もう笑って誤魔化すことは出来ません。この場面もやはり赤でなければいけませんでした。


身近な赤を身に纏うために、簡易的なブレスレットの代わりに、手首を切るのがかわいいという文化圏もありました。リストカットは儚くてかわいい?ゆめかわいい?今となれば馬鹿馬鹿しいのですが......

勧められたこともありますし、試してみたこともあります。けれど、わたしは手首にカッターの刃をあてたら力が入らなくなってしまって。結局、手首を切ることは出来ませんでした。


赤が似合う女性としては、わたしの中ではわたしの母親がいちばんです。こっそり盗み見た彼女のアルバムには、これでもか!ってくらいに美しいストレートの黒髪ワンレンに真っ赤なリップ、赤い薔薇の花束を抱えていた写真がありました。20代のころの彼女はとても美しくて、気が強そうで真っ直ぐな感じがして(実際にそういう性格なのですが)。赤い色に負けていない、強くて美しい女性だな、と思います。
結婚式のお色直しで真っ赤なドレスを選んだセンスにはどっひゃ〜と思いましたが、まあ、でも、彼女はとても幸せそうでした。大型免許や大型二輪の免許や船舶免許を持つ傍ら、社交ダンスや生け花を嗜んでいた彼女はどのような少女だったのかな...ちょっと出会ってみたいですが、友達にはなれない気がします。


残念なことに、わたしは母親としての彼女しか知りません。彼女はわたしを産み、育てるために自慢の美しい黒髪をばっさり切ってしまいました。だから、バッチリ黒髪ストレートなロングヘアの彼女を見たことがありません。そして気づいた頃には美しかった黒髪を白髪染めで茶色に染めて、わたしたち姉妹の子育てと家事と仕事に追われて自分のことは二の次三の次にしていたように思います。今思えば、だけれど。
あの頃は母親に無限の愛情を注いでもらうこと、わたしたち姉妹のことをいちばんに考えて貰うことが当たり前だと思っていました。そんなの当たり前じゃないのにね。

わたしの知っている彼女は、面影はあるにせよあの写真の彼女とはすっかり別人で。クタクタの普通の母親になってしまいました。それが良いか悪いか、幸せか不幸せかなんてわたしには分かりませんが、女性として美しい彼女に出会いたかったな〜。もしくは、女性として美しいままでいて欲しかったな〜と思います。
けれど、嫁入りした環境では許されていなかったのかもしれませんね。そしてわたしたち姉妹はどうしようもなく子どもで。親が与えてくれるものには底が無く、全て無限に与え続けてくれると思っていました。わたしたちは彼女から時間を奪い、若さと美しさを奪い、普通のクタクタの母親にしてしまいました。どうしよう。


強く美しい彼女はその美しさを投げ打って強く逞しい母になってくれたのだと思います。今更こんなふうに感謝しても仕方ないのですが、彼女の覚悟が見て取れます。わたしも大人になったのかなあ。
けれどね、わたしたちの父親と出会わなければ、彼を選ばなければ、わたしたちを産まなければ、美しい彼女にはもっと沢山の選択肢があったはずだから他を選んでいれば、と思わずにはいられないのです。


母親になるということ、もちろん中途半端では挑めないだろうし、彼女の決意や覚悟を思うとちょっとわたしには出来そうにありません。想像もつかないですし、自分の命にすら責任を持てないのに、ほかの命に責任を持てる訳がない。あれだけ手を掛けて育てた結果がわたしなので、本当に申しわけないというか何というか。せめて、自殺しないように命だいじに生きますね。


わたしの赤への憧れと畏怖はそのまま、母親への憧れと畏怖なのかもしれません。彼女のような強く美しい女性でなければ赤は似合わない気がして、気持ちが色に負けちゃうんです。自分のずるいところや中途半端なところ、まだまだ甘やかされたい子どもなところばかりが浮き彫りになる気がして。

もちろん、わたしはまだまだ子どもでいたいので、赤に似合おうなんて思ったこともありませんでした。今になってどういう心境の変化なのか把握しきれていないのですが、きっとそういう時期なのでしょう。おめでとう!


鮮やかな色を身にまとうためには、色に負けない内面の美しさが必要なのかもしれません。自分に自信を持っている女性はそれだけで美しく見えますね。
母親のようになりたい、とは思っていませんが、あの雰囲気をいつか身に纏えたら という憧れはあります。
ネガティブで自分に自信がなくて髪の毛で顔を隠したり、暗くて無難な色のお洋服に落ち着いたり。そろそろこれはもう やめにしてもいいのかな?なんて思ってみたりします。せっかくの機会ですので、いい?わたし、綺麗になっちゃうから!可愛くなるんだから!シクヨロ〜〜〜!!!!とか言って.........

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こころの隙間を食べ物で埋めようとするデブ

精神的な負荷が大きくなって辛くなると、わたしは過食に走ってしまいます。ストレスの置換なのかな?こんなことしたって何も変わらないのに。むしろ、身体の調子も悪くなって、体重が増えて。どんどん自分を責めてしまう悪循環に陥るだけです。

ひとり暮らしを始めて、日々の生活のなかでしわ寄せがきて、いちばんおざなりになってしまうのは食事だと思いました。洗濯物や掃除は週末にまとめて片付けるのも手ですが、食事は毎日必ず行う、行わなければいけない?行為ですね。食べることは生きること。
お店に行けば 自分で手を加えなければ食べられないものや、買った瞬間に食べられるもの、沢山の種類の食べ物が溢れています。出来合いのものばかりで済ませていると、人生も適当な気持ちになってきてしまいませんか?簡単で美味しいけれど、何となく、食事以外も有り合わせで済ませてしまいそうになる。心的に不調なときは大抵考え過ぎている気がします。

心的に不調なときは自分を大切に思えないのか、わざわざ自分のために料理をするのが馬鹿馬鹿しくて・・・・・
体調が良いときは出来るんです。だから、体調の良いときに作り置きにして、冷凍して、チンするだけで食べられる状態にしてあります。自分の料理は好きだし、好みの味付けにできるから美味しい。自分のためにもなるべく自炊したいんです。
反対に体調の悪いときにはもう、駄目。何もしたくない。チンすらしたくない。お皿を出すのさえめんどくさくて・・・・・


ひとり暮らしを始めて、自分で食事を選べるようになって、自分の身体に合う食事の内容を把握するようになりました。

わたしには和食が合うみたいです。豪華なものでなくていい、身の丈に合った食事が出来れば充分に幸せなので、ごはんとお味噌汁とおひたしに、納豆か焼き魚かだし巻き卵か・・・・・毎食こんなふうに食事を出来たら、きっと心身共に健やかに生活出来ると思うんです。
反対に、体調の悪いときには和食が身体に合うなんてことは忘れて、普段食べないような簡単でどうでもいい食事ばかり選んでしまうようです。小麦製品や出来合いのお惣菜や即席麺やスナック菓子や洋菓子、炭水化物に油を沢山足したものばかりです。最悪だ。このようなものを普段食べ慣れていないせいか、胃もたれが酷くて。胃が全然休めていない感じがします。治さなきゃなぁ・・・・・この文章を書いている今もすこぶる体調が悪いのです。


読書や音楽鑑賞、映画鑑賞も食事に近いものだ、という感覚があります。素敵な文章を読んだときや音楽ライブに行ったとき、映画を見たあとなどは、こころが満たされてしまって食事が出来なくなるからです。

小説の話をすると、わたしは江國香織さんや森博嗣さんの小説・エッセイを読むことが多いです。大好きなんです。憧れも.........
無理矢理例えるなら、江國さんの文章は蜂蜜、チョコレート、ケーキ、可愛い名前の(けれど暴力的な)カクテル。森先生の文章は生野菜をソースに付けて食べるサラダ(バーニャカウダ?)や、クリームチーズを乗せたクラッカー、甘くないヨーグルト、煙草とコーヒー。
けれど、もちろん、ときどきとんでもないものも食べたくなるので、そういうときは平山夢明さん、米澤穂信さん、そして村上春樹の小説を読みます。

夢明さんの小説は肉肉しくて、(食べたことは無いのですが)分厚い牛肉のステーキ!血が滴るようなミディアムレア!そして目の前で絞ってくれるブラッド・オレンジジュース!飲んだことはないけれど、レッド・アイやラムコーク。ガツンと殴られたような攻撃的なお料理・・・・・
穂信さんの小説は、コース料理に出てくるお肉の印象です。鴨、ガチョウ、ワニ、白身魚、、、あまり詳しくはないのですが、目でも楽しむ美しいお料理。お酒なら葡萄酒。
村上春樹は好きではありません。どちらかというと嫌いで、出来れば関わりたくない人なのですが、怖いもの見たさでときどき読みます。味は変な味がして、もしくは無味。1Q84(この作品は大好き)は、ライ麦パンかオートミールでしょう。

好きな作家さんについて考えていたら、とても上等な食事をした心持ちになりました。きっと、こころが満たされていれば、心身共に健康になれる気がします。


春から社会人として新生活を始める予定なので、食生活を大切にしていこうかな〜なんて考えていたりします。今は学生だから出席日数を数えて登校したり、しなかったり、自由に生活をしていますが、春からはそうもいかないから。

お気に入りの食器をみつけて、旬の食べ物を知って、ひとつひとつの細やかな手間を愛して。食べることは生きることだから、食事を大切にすれば、きっと自分自身を大切にすることにも繋がるのだと思います。住み慣れた土地を離れて生活をするため不安ばかりが目に付きますが、心身共に健やかに、穏やかに生活するために。こころの隙間を安易で、簡単で、どうでもいい食べ物で埋めようとするデブを辞めて、自分のためにちょっと頑張ってみようかなと思います。