赤と劣等感

赤は言い訳の出来ない色だ、と思います。中途半端なあまちゃんで、まだまだ子供のままでいたいわたしには縁のない色。言い訳ばかりでふにゃふにゃ笑って誤魔化そうとしているうちは似合えない。色の持つパワーに負けてしまって、きっとみすぼらしく見えるでしょう。

赤ってだけで尊くて。いちばん身近な赤はわたしたちの血、肉、内臓でしょうか。普段は隠しているけれど。生きている、エネルギーの色なのかな?情熱、愛情、怒りや嫉妬なんかも連想されます。うちに秘めたものほど熱く、赤いイメージがあります。


映画 オペラ座の怪人、 "Masquerade" でファントムは赤いお洋服を着ていました。クリスティーヌへの熱い想いや悲しみ、揺るがない愛情。そしてラウルへの怒りや嫉妬。いつもの黒いマントを脱ぎ捨て、隠すことのできない自分の想いをぶつけるには赤でなければいけなかった。血管の浮き上がった白いマスクを着けて、形振り構っていられない、余裕がなく感情のままに行動した彼は、もう、黒い服を着て隠れる必要がなかったのかもしれません。
 "The Point of No Return" では舞台が真っ赤でした。ここまで来たら戻れない、覚悟を決めなければならない。クリスティーヌは決断をしなければいけなかった。もう笑って誤魔化すことは出来ません。この場面もやはり赤でなければいけませんでした。


身近な赤を身に纏うために、簡易的なブレスレットの代わりに、手首を切るのがかわいいという文化圏もありました。リストカットは儚くてかわいい?ゆめかわいい?今となれば馬鹿馬鹿しいのですが......

勧められたこともありますし、試してみたこともあります。けれど、わたしは手首にカッターの刃をあてたら力が入らなくなってしまって。結局、手首を切ることは出来ませんでした。


赤が似合う女性としては、わたしの中ではわたしの母親がいちばんです。こっそり盗み見た彼女のアルバムには、これでもか!ってくらいに美しいストレートの黒髪ワンレンに真っ赤なリップ、赤い薔薇の花束を抱えていた写真がありました。20代のころの彼女はとても美しくて、気が強そうで真っ直ぐな感じがして(実際にそういう性格なのですが)。赤い色に負けていない、強くて美しい女性だな、と思います。
結婚式のお色直しで真っ赤なドレスを選んだセンスにはどっひゃ〜と思いましたが、まあ、でも、彼女はとても幸せそうでした。大型免許や大型二輪の免許や船舶免許を持つ傍ら、社交ダンスや生け花を嗜んでいた彼女はどのような少女だったのかな...ちょっと出会ってみたいですが、友達にはなれない気がします。


残念なことに、わたしは母親としての彼女しか知りません。彼女はわたしを産み、育てるために自慢の美しい黒髪をばっさり切ってしまいました。だから、バッチリ黒髪ストレートなロングヘアの彼女を見たことがありません。そして気づいた頃には美しかった黒髪を白髪染めで茶色に染めて、わたしたち姉妹の子育てと家事と仕事に追われて自分のことは二の次三の次にしていたように思います。今思えば、だけれど。
あの頃は母親に無限の愛情を注いでもらうこと、わたしたち姉妹のことをいちばんに考えて貰うことが当たり前だと思っていました。そんなの当たり前じゃないのにね。

わたしの知っている彼女は、面影はあるにせよあの写真の彼女とはすっかり別人で。クタクタの普通の母親になってしまいました。それが良いか悪いか、幸せか不幸せかなんてわたしには分かりませんが、女性として美しい彼女に出会いたかったな〜。もしくは、女性として美しいままでいて欲しかったな〜と思います。
けれど、嫁入りした環境では許されていなかったのかもしれませんね。そしてわたしたち姉妹はどうしようもなく子どもで。親が与えてくれるものには底が無く、全て無限に与え続けてくれると思っていました。わたしたちは彼女から時間を奪い、若さと美しさを奪い、普通のクタクタの母親にしてしまいました。どうしよう。


強く美しい彼女はその美しさを投げ打って強く逞しい母になってくれたのだと思います。今更こんなふうに感謝しても仕方ないのですが、彼女の覚悟が見て取れます。わたしも大人になったのかなあ。
けれどね、わたしたちの父親と出会わなければ、彼を選ばなければ、わたしたちを産まなければ、美しい彼女にはもっと沢山の選択肢があったはずだから他を選んでいれば、と思わずにはいられないのです。


母親になるということ、もちろん中途半端では挑めないだろうし、彼女の決意や覚悟を思うとちょっとわたしには出来そうにありません。想像もつかないですし、自分の命にすら責任を持てないのに、ほかの命に責任を持てる訳がない。あれだけ手を掛けて育てた結果がわたしなので、本当に申しわけないというか何というか。せめて、自殺しないように命だいじに生きますね。


わたしの赤への憧れと畏怖はそのまま、母親への憧れと畏怖なのかもしれません。彼女のような強く美しい女性でなければ赤は似合わない気がして、気持ちが色に負けちゃうんです。自分のずるいところや中途半端なところ、まだまだ甘やかされたい子どもなところばかりが浮き彫りになる気がして。

もちろん、わたしはまだまだ子どもでいたいので、赤に似合おうなんて思ったこともありませんでした。今になってどういう心境の変化なのか把握しきれていないのですが、きっとそういう時期なのでしょう。おめでとう!


鮮やかな色を身にまとうためには、色に負けない内面の美しさが必要なのかもしれません。自分に自信を持っている女性はそれだけで美しく見えますね。
母親のようになりたい、とは思っていませんが、あの雰囲気をいつか身に纏えたら という憧れはあります。
ネガティブで自分に自信がなくて髪の毛で顔を隠したり、暗くて無難な色のお洋服に落ち着いたり。そろそろこれはもう やめにしてもいいのかな?なんて思ってみたりします。せっかくの機会ですので、いい?わたし、綺麗になっちゃうから!可愛くなるんだから!シクヨロ〜〜〜!!!!とか言って.........

広告を非表示にする